「睡眠薬を飲むと認知症になるんですか?」と患者さんより時々質問される事があります。大抵は家族や知人からその様な事を言われて心配になった方が質問されるのだと感じています。
結論のみを先に述べると「眠剤の内服で認知症になる」と言った医学的な因果関係は証明されていません。
では何故眠剤を飲むと認知症になると考える人が多くなったのでしょうか?
それは2012年にフランスの研究チームが発表した一つの論文が契機になっている様なのです。この論文は眠剤内服による認知症発症リスクを論じる時に良く引用される事があるものなのですが、ではどの様な研究報告だったのでしょうか。
フランスにあるジロンド、ドルドーニュの二つの地域から65歳以上の健康な地域住人3777人を無作為に抽出しました。その後、この住人を5年間追跡調査し、その5年間に認知症を発症した住人、ベンゾジアゼピン系睡眠薬の内服を開始した住人など、この研究目的から外れてしまった住人を除外し、残った1063人に付いて、その後も更に10年間つまり合計で15年間追跡調査が行われました。最終的に1063人中、合計253人(23.8%)が認知症を発症しました。この内ベンゾジアゼピン系睡眠薬を内服していたのは30人、ベンゾジアゼピン系睡眠薬を内服していなかったのは223人でした。この調査結果に対して認知症の発生と関係があると考がえられる様々な因子(教育水準、婚姻状況、ワインの消費、糖尿病の有無、高血圧の有無など)の影響が小さくなる様に統計学的な処理が行われました。その結果、ベンゾジアゼピン系睡眠薬を内服していた住人の認知症発症率は1年当たり4.8%、ベンゾジアゼピン系睡眠薬を内服していなかった住人の認知症発症率は1年当たり3.2%になり、ベンゾジアゼピン系睡眠薬を内服していた住人の認知症発症率は1.5倍となりました。
如何でしたか?統計学の論文で、しかも全文英語であるため、私もその内容を完全に理解する事は出来ませんでした。しかし、この研究報告には2点注目すべき点があると思います。
1点目はこの研究報告には色々と数字のマジックが隠されている事です。眠剤を飲んでいると認知症の発症率が1.5倍にもなると聞くとギョッとするのですが、3.2%の発症率が4.8%に増加するだけであり、統計学の知識無しにこの結果を見ると単なる誤差にも思えてしまいます。皆さんはどう思われましたか?
そして2点目は、この論文で報告されているのはベンゾジアゼピン系睡眠薬と認知症の関係であり、他の系統の眠剤と認知症の関係に付いては何も検討されていない事です。詳細な説明は避けますが、現在日本で使用できる睡眠薬は①バルビツール酸系睡眠薬、②オレキシン受容体拮抗薬、③メラトニン受容体作動薬、そして④ベンゾジアゼピン系睡眠薬の4種類がありますが、この研究報告に①~③は当てはまりませんので、どんな睡眠薬を飲んでも認知症の発症率が高くなる訳ではありません。
そしてこれからが最も重要な点になるのですが、同様な追跡調査を行ってもベンゾジアゼピン系睡眠薬を内服している人と内服していない人で認知症の発症率に有意な差がないとする研究報告も沢山あるのです。また、不眠症が認知症の発症率を高めると言った研究報告もあるのです。そもそも眠剤を飲んでいる人は皆、不眠症の人ですよね。
以上の客観的事実より、冒頭で述べた「眠剤の内服で認知症になると言った医学的な因果関係は証明されていない」と言う結論に至る訳です。事実かどうかも分からない情報に振り回されて眠剤を「悪」として扱うのは正しい判断だとは言えないと思います。皆さんも用法容量をしっかりと守った上で正しく睡眠薬を使用し、爽快な朝を迎えられては如何でしょうか。