「睡眠薬を飲むと認知症を予防出来る」と聞いて皆さんはどう思われますか?
殆どの方が「まさかそんな訳が無い!」と思われるでしょう。「睡眠薬を飲むと認知症になる!?」でも報告した通り、何故か「睡眠薬=悪」と言ったイメージが付きまとうため、こんな事を信じる方は殆ど居ないでしょう。しかし、これは本当の話なのです。「タイガー・ジェット・シンがアントニオ猪木よりも人気者になった!」、そんな昔には考えられなかった夢の様な話なのですが、具体的にはどの様な内容だったのでしょうか。
ただし、この論文を理解するためにはアルツハイマー型認知症の原因とされる「アミロイド仮説」を理解する必要がありますので、以下に簡単に説明します。
アルツハイマー型認知症の患者は認知症を発症する20年以上前から脳の神経細胞外にアミロイドβと呼ばれる物質が徐々に蓄積していくと考えらています。そして、この異常に蓄積したアミロイドβによる神経毒性によって脳の神経細胞が死んでしまうと考えるのが「アミロイド仮説」と呼ばれる物です。
その後更に10年程度経過すると、脳の神経細胞内にあるタウ蛋白が過剰なリン酸化を受ける様になります。タウ蛋白が過剰なリン酸化を受けてしまうと脳神経細胞は正常な機能を失ってしまいます。
この様に脳内に蓄積したアミロイドβ、リン酸化タウ蛋白がアルツハイマー型認知症の原因と考えるのが現在の主流となっています。
それでは、この仮説を元に「眠剤を飲むと認知症が予防できる」とする発表した論文の詳細を見ていきましょう。
2023年3月、ワシントン大学医学部の研究チームが「スボレキサント(商品名:ベルソムラ)の内服によってアルツハイマー型認知症の進行を遅らせたり進行を止める可能性がある」と報告しました。では実際には、どの様な研究が行われたのでしょうか?
ワシントン大学の研究チームは認知障害の無い45歳から65歳までの被験者38人に対して2晩の睡眠研究を行いました。参加者は①スボレキサント10mgを内服、②スボレキサント20mgを内服、③対象群としてプラセボ(偽薬)を内服、の3つのグループに分けられました。そして、それぞれのグループに対して睡眠薬、又はプラセボを内服する1時間前、そして内服後36時間に渡って2時間ごとに少量の脳脊髄液を採取し、その脳脊髄液中のアミロイドβ、及びリン酸化タウ蛋白の量を測定しました。すると、スボレキサント20mgを内服したグループではプラセボを内服したグループに比べてアミロイドβのレベルが10~20%、リン酸化タウ蛋白のレベルが10~15%低下していました。ただし、スボレキサント10mgを内服したグループとプラセボを内服したグループではアミロイドβとリン酸化タウ蛋白のレベルに有意差は有りませんでした。
以上の結果より高容量(20mg)のスボレキサントの内服によりアルツハイマー型認知症を予防出来る可能性がある事が示されたのです。
何とも夢のある論文ですが、これには色々と問題があります。①先ず睡眠薬と言ってもスボレキサントのみの検証で、他の睡眠薬に付いては全く検証していない事。②僅か36人の被験者に対して36時間の検査を行ったのみである事。③全ての認知症を予防する訳では無く、アルツハイマー型認知症に限定されている事など様々な問題があり、この研究発表をもってスボレキサントを内服するとアルツハイマー型認知症を予防出来るとは言えません。しかし、とかく悪者扱いをされて来た睡眠薬にとって、何とも明るい話題であると思いました。今後の研究に期待したいと思います。